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後進国ニッポン
2009/01/30(Fri)
昨日のテレビでご覧になった方もおられるかと思いますが、日本でもようやくHibワクチンというものが認可されたそうです。
Hibワクチンというのは、簡単に言うとインフルエンザ菌b型による感染症を防ぐためのものです。
インフルエンザ菌b型による感染症のなかでももっともこわいのは、乳幼児がかかる髄膜炎だそうです。
昨日のテレビでは、認可されるほんの少し前に髄膜炎にかかり脳死状態になってしまった子どもさんや運動機能が麻痺してしまった子どもさん、そしてそのご家族のことが取り上げられていました。

このHibワクチンは、1998年に「すべての乳児に接種するように」とWHO(世界保健機関)が勧告していたそうです。そして現在では世界の110カ国以上で接種されているらしいです。
それほどまでに乳幼児にとって大切なワクチンの接種が、「先進国」だの「経済大国」だの言われている日本で、なぜこうまで遅れることになったのでしょうか。
しかも、今のところほとんどの地域では、接種は全額保護者の負担(約3万円)になっています。そうなってくると経済的な理由で、「打たせてやりたくても打たせてやれない」という家庭も絶対にたくさん出てくるはずです。これでは、何のために認可されたのかわからないではないですか。

生活がどんどん便利になってきたことでごまかされているけれど、国民の生活をトータルで考えた場合、世界的な水準に達していない部分もきっとまだまだ多いんだろうなあと思いました。
この医療の分野をはじめとして、謙虚な姿勢で世界の国々から学ぶべきことはまだまだたくさんあるのでしょうね。国の中心にいる人たちは当然として、我々もそういうふうに認識を新たにしなければならないと思います。

テレビでは、「このように認可が遅れたことについては厚生労働省はノーコメント」と言っていました。なんで?
天下りのことばっかり考えてる場合じゃないやろ!!
と、僕は思いました。

すいません。今日もなんかまとまりのない文章ですね。
でも、よろしければまた押してやってください。
  
      
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理解と実感の間で・・・
2009/01/29(Thu)
自宅のマンションのベランダや廊下から周りの景色を眺めるときに、ふと思うことがあります。
「この景色を江戸時代の人たちが見たら、腰を抜かすかもしれんなあ・・・」
高速で走るクルマたち、音を立ててすれ違う電車、蛇のようにうねる高速道路、所狭しと立ち並ぶ鉄筋住宅、遠くにかすむ高層ビルの群れ、煙を吐き出す工場の煙突とにごった空の色、そして、土など一切見えない地面・・・。

飛行機を見て、「あんな鉄の塊が空を飛ぶなんて、どうしても信じられない」という言葉を聞くことがあります。
飛行機が人類の歴史に登場して、すでに一世紀あまり。日本の空を飛びはじめてからも、相当な年月が流れたことでしょう。
しかし、この言葉をつぶやく人たちは未だ多い気がします。なぜか?
それはおそらく、実感が伴わないからではないでしょうか。

飛行機について言えば、例えば航空力学や流体力学、エンジンの仕組みや燃料との関係など、いろいろな理論をもって説明されれば、「なるほど」とその場は納得できるでしょう。でも、「やっぱりなあ・・・」という部分が残るのは、僕の頭が古いからなのでしょうか・・・。

他の様々なことについてもそうですが、たしかにそのようになる理屈があるし、それを説明されれば完全ではないにしろある程度のことまでは理解できる。しかし、どうしても実感できない・・・。そんなことは多いのではないでしょうか?

例えば、テレビだってそうです。今さらその仕組みを知ろうとも思いませんが、よく考えたら今でもやっぱり不思議な感じがします。パソコンに関係することなんて、今まさに自分で使っていながら、なぜこんなことができるのかまったくわかっていません。(理系のほうの才能はもともとサッパリなんですけどね)

そんなふうに考えると、先に書いた「江戸時代の人たち」と今の自分も、そうたいした違いはないのかもしれないと思えてくるのです。
そしておそらくこの先、「一般の人々には実感できないけれども可能になる」ということは、もっとどんどん増えてくるでしょう。
もちろんそれらは、人類の発展に寄与してくれるという面をもっているに違いありませんが。
でも、何て言ったらいいのかよくわからないですが・・・。
結局はよく知らなくて危険なものに手を出してしまっている・・・そんな側面もあるかもしれないという思いが、ぬぐい切れないんです。

昔の生活のほうが全面的に良かった、なんて言う気は毛頭ありません。
でも、人間の周りにある物とそれを使っている人間との間に、なにか溝のようなものが感じられて仕方ないと思うのは、やっぱり僕だけなのでしょうか。

ああ、今日もいったい何の話かわからなくなってきました。すいません・・・。

今日もまたヘンな話を最後まで読んでくださって、どうもありがとうございます。
よければオレンジのボタンを押していただけると、とてもうれしいです。
 
      

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買い物
2009/01/28(Wed)
昨日は、なんと37人もの方が訪れてくださいました。ほんとうにうれしいです。これからもどうぞよろしくお願いします。

さて、今日は「買い物」の話です。

当たり前のことですが、買い物というのは、「必要度」と「欲求度」に左右されます。
必要度が高い物、欲求度が高い物、そしてその両方が高い物・・・。
そういった物を、人は買い物の対象として考えますよね。

ところで、世の中には「嗜好品」と呼ばれる物があります。
酒やタバコなどの嗜好品は、好きな人にはなくてはならない物ですが、きらいな人にとってはまったくどうでもいい物です。
でも、世の中のほとんどの物は、こういった「嗜好品」的な要素を含んでいるのではないでしょうか。
例えば、ものすごくジーンズが好きな人は、ジーンズをはいたり、あるいは眺めたりすることで、高揚感を得たり視覚を楽しませたりすることができます。

ところが、その一方で、高揚感とか楽しみとか、そういったものにはまったく関係ない物もあります。
昨日、そういう物を買ってしまいました。

それが、これ ↓ です。

血圧計

通院の度に必ず血圧を測るのですが、昨年の秋ぐらいから、なぜか高い値が出るようになってしまってたんですよ。
一昨日の通院では、最高値が183mmHg、最低値が124mmHgという、僕にとってはおよそ考えられないような数値でした。そこで・・・
家族のすすめもあって、買いに行きました。

でも、こういった血圧計なんかの類の物って、嗜好品とは対極の位置にある物ですよね。
まあ、ひょっとしたら、
「血圧を測っていると、なんとも言えない気持ちの高まりがあって、毎日10回は必ず測ってますね。いや~、もうちょっと控えないといけないなあとは思ってるんですが止められないんですよ、これが」とか、
「美しいじゃないですか、この独特のフォルム。他の計器類には、なかなかこういったキレイな曲線美は感じられませんね。・・・台数ですか?そうですね、家には10台、オフィスに6台、それからクルマに2台ありますね。あ、バッグの中にも、手首で測れるやつが入れてありますよ。ともかく、見てるだけでシアワセになれるんですよ。なんでしたら、今から家に見に来られますか?」
とかいうキトクな方もおられるかもしれませんが(いないか、やっぱり・・・)

ともかく、できたらこういう物って、買わなくてすむならその方がいいわけですよね。
あ、本日の血圧は、最高値が123mmHgde,最低値が91mmHgでした。
あの病院の血圧計、こわれてるのかな~?

もう、いったい何の話かわからなくなってきました。すいません・・・。

こんな話を今日も最後まで読んでくださって、どうもありがとうございます。
よければオレンジのボタンを押していただけると、とてもうれしいです。 

      



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物語を書くこと・・・
2009/01/27(Tue)
金色の虎でも、ちょっとふれましたが、一度きちんと物語を書いてみたいという思いがあって、今でも日ごろからそのネタになることを探しています。

昔、一度だけ実際に書き始めたことがあったのですが、どうにも行き詰まってしまって挫折・・・。
思えば、きちんとした展開も考えず勢いだけで始めてしまったのだから、行き詰まるのも当たり前のことなんですが。

でも、物語を書きたいという思いをもちながら本を読んだりアイデアをめぐらしたりしているうちに、自分だけの思い込みでしょうが、大事なことに少しは気づけたような気がします。
物語の大事な要素・・・。

まず、当然のことですが、物語の良し悪しを決める最大のポイントはストーリーでしょうね。どういった展開になるのかということを、最後まできちんと組み立てておかないと、一貫性に欠けたものになり、先ほどの僕の作品のように途中で破綻してしまいます。
次に、キャラクターではないでしょうか。どんな性格でどういった位置づけでと、いろんなことを設定していく必要があります。もちろん主人公だけではありません。たくさんの魅力的なキャラクターがそろう物語は、本当に読み応えがあるものだと思います。
あとは、「スピード」ですね。いろんな人の作品を読んでいると、「いいキャラクターがそろっていて、ストーリーも面白いのだけど、なんとなくのめり込めない感じがする・・・」というものに当たることがあります。それはストーリーを展開していくスピードに関係があるのだと思います。読むほうの気持ちの動きというか、テンポというか、そういうものを大事にしないと、読む人がのめり込めるような作品はなかなか書けないように思います。
もちろんもっともっとたくさん大事な要素はあるはずなので、それもこれから勉強していかないとと思います。

すいません。たったひとつの作品もまともに書いたことのない人間のたわごとに、長々とつき合わさせてしまいました。

最後まで読んでくださってありがとうございます。よければオレンジのボタンを押していただけると
とてもうれしいです。

    
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通院
2009/01/26(Mon)
本日は、今年初めての通院でした。
先生も看護師さんも、たいへん優しくて心が和みます。
診察が終わってエスカレーターを下りて、一階へ。
この広いフロアーで会計を済ませるのですが・・・。

実はこの待ち時間がつらい・・・。
そんなに長い間待たされるというわけでもないのですが。
何て言えばいいのか・・・その場の空気が苦しい・・・そういう表現がいいのかなあ。

当然のことながら、周りはほぼすべてが患者さんです。
男も女もいるし、若い人も僕と同じぐらいの方もいればお年寄りの方もおられます。
そして、子どもたちも・・・。
明るい雰囲気になるわけがないし、それで当然だとわかってはいるけれど、ここでの待ち時間がものすごく苦痛です。

思えば、お医者さんや看護師さんはもちろん、医療や介護に携わる人たちって、たいへんなんだろうなあ。
こういう仕事に従事されてる人たちは、こんな言い方はよくないかもしれないけど、病や老いなどの負の部分を抱えた方々を相手にしているわけですよね。
つまり、出会い自体がけっして楽しいものではなく、どちらかと言えばマイナスからのスタートを余儀なくされてるんですよね。
(なんか表現が下手でイヤになってきます・・・なんとなくわかってもらえたら嬉しいのですが)
そう考えると、毎日がとてもしんどいんじゃないかなあと思うんです。
特に、毎日新しい患者さんとか利用者さんと接する機会が多ければ多いほど、そのしんどさは尋常じゃないのかもしれない。
でも、社会にはなくてはならない存在ですからね。

「マイナスからのスタートではあるけれども、患者さんたちが時間を経るごとに、この出会いが素晴らしいものだったと思えるように・・・」
そんな願いを込めて、仕事に励んでおられる人たちはたくさんおられるはずです。

そういった人たちに、この場から拍手を送りたいと思います。


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むずかしい・・・
2009/01/24(Sat)
何日かかけて描きましたが・・・。

う~ん、やっぱり生き物を描くのは難しいですね。

もっと勉強しないとな~。


海中光



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白昼の惨劇
2009/01/23(Fri)
「米、炊いておこう」
そう思い立って、いつものようにハイザーの二合のボタンを押しました。
ザザーッ・・・
これまたいつものように、米が落下して受け皿へ。
ザザーッ・・・
「テレビなんかで波の音を出したいときには小豆を使うらしいけど、米ではちょっと無理やなあ」
ザザーッ・・・
「しかし便利になったもんやなあ、ボタン押しただけで必要な量が出てくるんやから」
ザザーッ・・・
「昔なんか鉄の米びつで軽量カップ使ってたのに・・・アレ?」
ザザーッ・・・
「アレ?」
ザザーッ・・・
「ちょっといつもより長いんちゃうか・・・」
ザザーッ・・・
「と、とまらん・・・」

我が家のハイザーの中には、おなじみの備長炭がひも付きの袋に入れてつるしてあるんですが、それがなぜかはずれてしまって、米粒の出口のところに挟まってしまってました。
そのおかげで、米粒の出口が閉じられず、米粒がドンドン出るわ、出るわ・・・。

やがて音が止んだので、おそるおそる受け皿を取り出そうとすると、
ザザーッ・・・
「・・・もう、あかん・・・」

結局、事態の収拾に小一時間を要してしまいました。

この前「再会」「再会2」で書いた友だちに教えてもらった言葉が頭をよぎりました。


Life is what happens to you while you're busy making other plans.
あなたがあれこれ忙しく計画を立てているうちに、あなたの身に次々と起こってくること、それこそが人生なのである。

結局はなるようにしかならない、という意味ももちろんあるのでしょうが、
「思いもしない不幸な出来事は必ずある。精一杯の努力も必ず報われるとは限らない。でも、それは決して意味のないことではないはずだ。いろいろなことから学ぶべきことを学び、自分の思い描いた夢をあきらめずガンバレ!!それこそが人生と呼ぶに相応しいものなのだ」
というようなメッセージも込められていると思います。

この白昼の惨劇から何を学ぶか・・・。
とりあえず、備長炭をどうしようかなあ・・・。


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自分の誕生日
2009/01/22(Thu)
一昨日は娘の誕生日でしたが、今日は自分の誕生日でした。
まあ、この年齢になると、なんとなくフクザツな思いもありますが。
でも、よく考えたら、無事に年をとっていけるということは、とても素晴らしいことなんですよね。

それに、家族が祝ってくれるのは、ちょっと照れくさいけどやっぱり嬉しいものです。
また、残念ながら滅多に顔を合わすことがなくなった人たちが、この日を覚えていてくれてお祝いのメールを送ってきてくれるというのも、たいへんありがたいことだと思います。

なんか今一瞬、「徒然草」っていう言葉がひらめいたぞ・・・。
「あらまほしきこと、おのがこの世に生まれたりし日に家のものみなつどひて祝い事す・・・」なんていう感じの文が浮かんだぞ、なんかデタラメっぽいけど・・・。
今書いてる文章って、なんか妙に古典の匂いがするなあ・・・。
もちろん、そんな高尚なもんではないのは十分わかってるけど。
まあ、いいか・・・。

それから、友だちが言ってました。
「誕生日っていうのは、自分をこの世に生んでくれた両親に感謝する日やで」と。
なるほど、その通りだと思いました。
自分も親の立場になってようやくわかったのですが、きっとものすごくたくさんの心配を両親にさせてきたんだろうなあと思います。それが親の務めと言えばそれまでですが、やっぱり感謝の念は忘れてはならないものだと、気持ちを新たにしました。




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「地域猫」から見えてくるもの
2009/01/21(Wed)
僕は、ペットとして飼った経験はないのですが、昔から犬や猫が大好きです。
この前、あるテレビで「地域猫」に関する番組をしていて、それを見る機会がありました。
僕は、この「地域猫」という言葉を聞くこと自体が初めてだったのですが、「特定の飼い主がなく、その地域の住民たちによって管理されている猫」だそうです。
つまり、給餌はもちろんですが、ねぐらの設置や糞尿の処理、地域の清掃、交尾によってその個体数が増えすぎるのを防ぐための去勢手術、他の住民からの苦情処理などをおこない、猫たちがその地域に受け入れられるようにするための活動をしておられる方々がおられるということです。
もちろん行政側も介入しているようですが、ボランティアの方たちの厚意によって成り立っているのが現状のようです。

でも、世の中すべて猫好きの人間ばかりではありません。当然、「猫は嫌い!!」という方もたくさんおられますよね。猫は好きだけどアレルギーがあって・・・という方もおられるでしょうし、また、べつに嫌いじゃないけど庭に糞をされるので困っている・・・なんて方もおられるはずです。

こういうことを書いてると、いつも何が正しいのかよくわからなくなってきてしまうんですが、でも、そういった「猫を受け入れがたい方々」を非難するためにこれを書いているのではないことだけはわかってください。それに、猫の被害に実際に遭ったことのない僕に、こんなことを言う資格があるのかどうかもよくわかりませんが・・・。

猫は、その個体の大きさもその数も、また環境に与える影響も、人間と比べればはるかに小さいものです。なのに、「ここは自分たちだけのテリトリーだ」と主張するがごとき人間の活動によって、その生存がおびやかされているのです。
これって、普通に考えれば、人間のエゴですよね。
『「ヒト」という存在』でも書きましたが、やっぱり今の世の中、あまりにも人間だけを中心にした考え方に偏りすぎているように思えます。
一説によりと、生物絶滅のスピードは加速度的に増していて、最近では1年間に約4万種が地球上から消えているそうで、このままの計算でいくと、25~30年後には全生物のうちの4分の1がいなくなるかもしれないという話です。そして、そういった事態を生み出すいちばんの大きな原因となっているのは、我々「ヒト」の存在です。

しかし、ほとんどの「ヒト」には思いやりの心があります。他の生命を尊重する気持ちもあります。そして何より、他の生物とは比較にならないほどの優れた知性があります。それは、他の生物を迫害し、絶滅に追いやるために与えられたものでは決してないはずです。
そういった知性を与えられた「ヒト」に対して、猫はもっと弱い存在であると言えるでしょう。その猫と上手に暮らしていく術をこの先もてないままで終わってしまったら、なんかものすごく情けない話だなあと思うのです。
世界中には、周りの動物たちと上手につき合いながら暮らしている人たちはたくさんいます。謙虚になってそういうところからその術を学んだならば、この日本でも猫ともっと仲良く暮らしていけるんじゃないかなと思います。

なんか話が逸れて大きくなってしまいましたが・・・。
でも、他の生物との「共存共栄」ということをここらでもっと真剣に考えないと、ほんとうに取り返しのつかないことになりそうでこわいなあと思うのです。



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娘の誕生日
2009/01/20(Tue)
今日は娘の17回目の誕生日です。
生まれたときのことがつい昨日の出来事のように思い出されるのに、子どもというのはホントにあっという間に大きくなってしまうものです。
でも、大きな病気もせず、順調に大きくなってくれたことに感謝したい気持ちです。

誕生日と言えば、小さい頃は、誕生日プレゼントと称していろんなものを買ってあげたりしたものですが・・・。
最近では、親に買ってもらうものよりも友だちにもらうものの方が重要になっているのかなあと思ったりします。

ところで、今日は友だちに誘ってもらって昼食を食べに出かけてきました。
彼はⅠくんといって、小学校に入学して以来の友だちです。
以前に「再会」「再会2」でも似たようなことを書きましたが、友だちというのは、本当に人生においての大きな財産ですね。
悩んでいるとき、迷ったとき、困ったとき、くじけそうになったとき・・・
そんなときに手を差しのべてくれるのが、真の友だちだと思います。
男同士ということで、女性ほどストレートに表現できない部分はありますが、彼が僕のことをいつも気遣ってくれているのはよくわかっています。
Ⅰくんは、僕にとってそういう大切な存在なのです。

娘の17回目の誕生日・・・大したことはしてあげられないけれど、こういった友だちに恵まれて豊かな人生を送ってほしいと、ただただ願うばかりです。



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「ヒト」という存在
2009/01/19(Mon)
14年前の1月17日、阪神淡路大震災が起こりました。
我が家に関して言えば、幸いなことに食器棚から皿やらコップやらが飛び出してそれらが割れた程度でした。しかし、悲しいことにものすごく多くの方々が亡くなられ、生き残った方々も体と心に大きなキズを負われました。今はそのキズはもう癒えたのだろうか、もとの暮らしとはいかないまでも、それに近い暮らしはできるようになられたのだろうか、と考えることがあります。

先ほど言いましたように、我が家の被害は決して大したものではありませんでした。しかし、ビルやマンションというのは上の階ほど揺れるようにできているようで、揺れ自体はものすごいものでした。そして、その揺れの中で、一瞬ではありましたが、僕自身も死を覚悟しました。「大丈夫や!!絶対に助かる!!」と家族に対して叫びながらも、「ああ、自分はこんなふうな死に方をするのか・・・」と考えていました。

そしてこの地震の後、ちょっと不思議なことが起こりました。けっこうな確率で、地震を予知することができるようになったのです。なぜかふと、「地震が来る!!」という直感というか閃きというか、そういったものが頭をよぎるのです。そして、その後たいてい一両日中に地震が起こるのです。と言っても、どこでどれぐらいの規模の地震が起こるかということまでわかるわけではありません。主に自分の住んでいる地方で起こることが多かったですが、遠く離れた土地で地震が起こったこともありました。
もちろんはずれることも多々ありますし、地震の規模も場所も特定できないのだから、役に立つような能力ではありません。それに、時間が経つにしたがって、その閃きのようなものが頭をよぎらなくなってきましたし、確率もどんどん落ちてきています。

でも、こう考えるんです。あの阪神大震災の後、僕のように地震を予知できるようになった人はきっとたくさんいるんじゃないかと。それは、なぜか・・・。
地震や津波、山火事などが起こる前にそこから動物や鳥が姿を消してしまった、という事実がけっこうあるそうです。また、「動物や鳥は自然災害や事故などの危険を事前に感知する能力がある」という話は、みなさんも耳にしたことがあると思います。
僕は、人間にもこういった能力が当然あると思っています。ただ、それに頼らなくても生活できるようになってしまったが故、その能力は体の奥深くにいつのまにか封印されてしまったのではないかと思うんです。その封印された能力が、災害や事故などを体験したことをきっかけにして再び目覚めるということは、十分にあり得ることなのではないでしょうか。また、僕自身に関して言えば、その予知がだんだんできなくなってきた理由は、阪神淡路大震災の後、それほどの大きな自然災害や事故を経験せず無事に過ごしてこれたことに起因するのではないかと思っています。つまり、平穏な生活を送れるという安心感が、せっかく目覚めた危機感知の能力を、再び体の奥の方へ押しやって封印しようとしているのです。

「ヒト」というのは今でこそ、地球上の生物の中で突出した存在ではありますが、もともとは野生生物たちと共存していたのです。その時代、「ヒト」は完全に「自然の一部」であったと思います。しかし、今はどうなんでしょうか。
自然から様々な恩恵を受けてきたにもかかわらず、その恩に報いるようなことを現代の「ヒト」が自然に対しておこなっているでしょうか。もし、自然というものが意思をもったひとつの大きな存在であると考えるならば、「ヒト」というものが自分の中に存在することをこのまま許し続けてくれるのでしょうか。技術が進歩し、世の中が便利になること自体は決して悪いことではないけれど、一元的な見方を改めて、自分たちが自然の一部であるという事実をもう一度しっかりとかみしめて考えてみる必要があるように思えてなりません。


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絵を描くこと
2009/01/17(Sat)
子どもの頃は、絵を描くことが好きでした。
と言っても、鉛筆でマンガなんかをちょこちょこっと描く程度でしたが。

でも、学校の図画の時間なんかは、どちらかと言うとイヤでした。
なぜかと言うと、絵の具で色を塗ると、自分のイメージとはほど遠い作品になってしまうことが多かったからです。
ずっとそういう気持ちをもち続けていましたから、自分からすすんで絵を描こうとすることもいつの間にかなくなってしまいました。

でも、十年ほど前にふとしたことがきっかけで、人生初の油絵に挑戦しました。
けっしていい出来ではなかったのですが、なんとなく自分のイメージに近いものには仕上げることができました。
それ以来、ヒマなときには鉛筆で自分の好きな風景を描いたりするようになりました。
そして最近では、パソコンのお絵描きソフトを使うことが多いです。

今思えば、絵を描くということを、難しく考えすぎていたのかもしれません。
どんな作品になろうと、誰に迷惑をかけるわけでもないんだから、身構えず、自由な発想でこれからも絵を描いていきたいなあ、と思います。


雪道と星空


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再会 2
2009/01/15(Thu)
留守の間に訪問してくださった方、コメントをくださった方がたくさんおられて、たいへんうれしい思いです。この前も書きましたが、今まで訪問、コメントしてくださった方々には、本当に感謝しております。時間があるときでけっこうですので、これからもご訪問、どうぞよろしくお願いします。


昨日の朝、とある駅で彼と待ち合わせをしました。
久々に顔を合わせた彼は、学生時代よりもかなり痩せていましたが、変わらずハンサムでかっこよかったです。
そのままクルマに乗せてもらって、彼の実家へ行きました。

一昨日、「彼は用があって地元に帰ってきます」と書きましたが、その用というのは、実家の荷物の整理だったのです。ご両親が亡くなってから空き家になっていた実家を売却するために、残してあった荷物を片づけることになったのです。
僕の心の中には、「今は遠く離れたところにいても、実家があればいつか思い立って地元に帰ってくるかもしれない」という期待もありました。
もちろん、これは僕ひとりの勝手な思いであり、当然彼に伝えたりはしませんでした。でも、そういう思いがあった分、彼が実家を売却してしまうという事実は、けっこうショックなことでした。

彼の実家に到着後、すぐに荷物の整理に取りかかりました。
みなさんにも経験がおありだと思いますが、昔の物の整理というのは、ふつうは予想以上に時間がかかるものです。一つひとつの物にまつわる出来事などが思い出されて、ついつい手が止まってしまうからです。
しかし、自分以外の人間が手伝いに来ているので、彼もゆっくりと思い出にひたっているわけにもいきません。持って帰る物と残していく物、捨てる物などに手際よく分別し、夕方には作業は終了しました。
夕食をご馳走になって買い物をして帰って来ると、缶ビールを3本ずつ飲みました。いろいろな話をして、ふと時計を見ると、夜中の2時前でした。
「イヤやなあと思ってた作業やったけど、お前が来てくれて本当に助かった」と、彼は何度も何度も僕にお礼を言ってくれました。

思い出話にも当然花が咲きました。しかし、それ以外にも、読書家でありたいへん博識な彼は、本当にいろんな話を僕に教えてくれました。
それらをすべてここで紹介するのはとても無理なことなのですが、その一つひとつの話を聞いていると、生きることに対する彼の熱意や真剣さ、そして家族や友人、同僚など自分の周りにいる人たちに対する思いやりが、ひしひしと感じられました。そして、「もっともっと話をしていたい」と思いました。

今朝もいろいろな話をしました。そして、荷物を彼のクルマに積み込み、買ってあったパンを食べたあと、駅まで送ってもらいました。楽しい時間はとても短く感じると言われていますが、まさしくその通りでした。本当に楽しく、そしてとても貴重な時間でした。
遠く離れた家に彼が着くのは、今夜遅くになるかもしれません。事故のないよう、安全運転で帰ってほしいと思います。




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再会
2009/01/13(Tue)
明日、高校時代の友人と、何年ぶりかで会う予定です。

僕は、高校時代には「フォークソング部」というクラブに入っていたのですが、彼とはそのクラブで出会い、引退するまでずっと二人で演奏をしていました。
たいへんハンサムで、魅力のある低音を聴かせてくれたものでした。
彼も僕も、「風」というグループが好きで、そのコピーをしていました。(なんか、だんだん年がばれてくるなあ・・・)

高校卒業後も彼は地元にいましたが、お互い忙しく会う機会もあまりありませんでした。
そして大学卒業後、僕は地元で、彼は遠く離れた地で就職し、顔を合わせることもなくなりました。
一年を通してのつき合いは、年賀状だけ・・・。そんなときが長く続いたように思います。

しかし、学生時代の友人というのは、不思議な、そして本当にありがたいものですね。

5年ほど前に初めてパソコンを買った僕は、真っ先に彼にメールを送りました。
もちろん、人生で初めてのパソコンメールです。
だが、しかし、見事に忘れてしまいました、自分の名前を書くのを。
さらには、そのメールは学生時代のことなどには何もふれておらず、ただ「人生初めてのメールです」といった内容しか書かれていませんでした。
しかし、彼は、それが僕からのメールだと気づいてくれたのでした。

それからメールのやり取りをするようになり、時おり電話でも話すようになりました。
彼と話すたびに、自分の思っていた以上に彼が僕のことを理解してくれていることを感じました。

その彼が、明日、用があって地元に帰ってきます。

「人間は生まれながらにしていろいろな差をもっている。男女の差、貧富の差、身体的能力の差・・・。それはどうしようもないことではあるけれど、そんなことに関係なく、人間は自分にとって大事なものを、自分の努力によって得ることができる。それは、友だちである。真の友だちというのは、人生において、何ものにもかえがたい宝ものである」

この言葉の意味を自分の人生のなかで理解でき、また実感できることを、僕は本当に幸せだと思っています。





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初雪
2009/01/12(Mon)
今年初めての雪が降りました。
と言っても、ほんの少しちらほらっていう感じでしたが・・・。
思えばこの冬、今朝まで一度も雪を見なかったかもしれない。
雪国に住んでるわけではありませんが、子どもの頃には、目覚めたら雪が降り積もってたなんてこともそう珍しくはなかったような気がしますが。
自分の誕生日に雪が降った、という記憶も何度かありますし。

みなさんが「雪」から連想する童話は、何ですか?
僕は、新美南吉さんの『手袋を買いに』が、真っ先に思い出されます。
初めて読んだのは小学校の教科書だったかなあ・・・。
お店で自分の手を戸の隙間からそっと差し入れる子ギツネの様子や、手袋をはめて嬉しそうにしている子ギツネの姿が、とてもかわいく感じられたものです。
そして、それにもまして、挿絵に描かれていた子ギツネがこれまたものすごくかわいくて、それがいちばん忘れがたいです。

(ゼッタイにこんな ↓ 子ギツネではなかった!!)


子ギツネ



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神の手
2009/01/11(Sun)
神の手

昨日も何人かの方々がこのブログを訪れてくださいました。コメントをいただいたり拍手をしてくださったり・・・。本当にありがとうございます。

さて、この写真ですが、ご存知の方もおられると思います。
沖縄で何年かに一度現れる「神の手」と呼ばれる雲だそうです。
ただ、けっこう有名なので、ネットで調べたらいろんな情報が書かれています。
「この正体は合成写真で・・・」と書かれてあるものもあります。

もう1年ほど前のことなのですが、ある日、親しくしているYさんという年下の子から、僕のケータイにこの写真が送られてきました。
そして、こんなメッセージが添えられてありました。
「これは沖縄で何年かに一度現れる「神の手」と呼ばれる雲の写真だそうです。幸せになってほしい人に送ると、送られた人の願いがかない、幸せになると聞きました。Nさんには、もっともっと幸せになってほしいので、送りますね」

僕は、そのとき初めて見たこの写真に感動すると同時に、そのメッセージがとても心に沁みました。
そして、Yさんにお礼のメールを入れるともに、これを何人かの人に送りました。

先ほど書いたように、これは合成写真の可能性もあるということを、後日僕は知りました。
(もちろんYさんは、そんなことは知らずに、これを送ってきてくれました。)

でも、この写真の正体なんて、どうでもいいのです。
これを送ってきてくれたYさんの気持ちは、まぎれもなく真実のものだからです。

自分や自分の家族の幸せを願うことは人間として当たり前のことだし、そう願うことには難しいことなんてありません。
でも、他人の幸せを願う心をもつというのは、なかなか難しいことなのではないでしょうか。

何かうまく表現できないんですが・・・。
こういう「思いやり」というものは、人生において欠かすことのできないものだと思うんですよ。
他人を思いやる気持ちと、他人に思いやってもらったという事実。
こういうものがない人生は、本当に味気ないものになってしまうし、とても「幸せ」とは言えないと思うんです。

「豊かな人生」という言葉があります。
自分が子どもの頃に比べると、現代にはいろんなモノがあふれています。
数や量も増えましたが、当時には想像もつかなかったようなモノがたくさん生活の中に見られます。

でも、本等の「豊かさ」っていうのは、そういったモノとかお金とかとは関係ないんじゃないかなあ。

この世にサヨナラするときに、「ああ、自分の人生は豊かだったなあ」と笑いたいですね。
そして、自分の周りの人たちも同じように笑えるようになってくれたらいいなあと思います。
そうなれるように、自分にできることは何かをきちんと考え、努力していきたいと思っています。


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金色の虎
2009/01/10(Sat)
一昨日から始めたこのブログですが、温かいコメントをいただいたり、拍手をしてもらったり、本当にありがたいなあと思います。
また、直接顔を合わせてではないにしても、言葉のやり取りが交わせて、とてもうれしく思っています。
これからも、どうぞよろしくお願いします。

さて、唐突ですが、子どもの頃からけっこう本を読んでいたせいか、自分で物語を書いたり、そのネタを考えたりするのが好きなんですよ。
小学校5、6年の頃には、自分で物語や詩なんか書いては、担任の先生に見てもらったりしてました。
この担任の先生は大学を出たばかりの若い男の先生だったんですが、多方面にわたってとても才能豊かな人でした。
僕がつくった作品に、いつもていねいな褒め言葉を書いてくださって、それがうれしく、また自信にもつながりました。
今でもとても感謝しています。

それらの作品は、もう今はありません(ひょっとしたら実家のどこかで眠ってるのかもしれません)が、忘れられないものがあります。
題名は、「金色の虎」です。


あるところに、貧しい少年とその母親が住んでいました。
母親は病気がちで働けず、少年がその暮らしを支えていました。
ある日、母親の病状が重くなり、少年はクスリを求めて市場へ走ります。
しかし、母親の病気に効くと思われるクスリはとても高価で、少年の財布にあるわずかばかりのお金では、一粒たりとも買うことができませんでした。
ものすごく迷った挙句、少年は生まれて初めて盗みを犯します。
ところが、店主に見つかった少年は地面に蹴り倒され、ムチで何度も打たれます。
うずくまったまま、でも決してクスリを手放そうとしない少年を、店主はさらにひどく打ち続けます。
そんな少年を、遠く離れた山の上から見つめているものがありました。
猫に似た大きな獣でした。
その獣の全身は、まばゆいばかりの金色に輝いていました。
獣は、パッと地面を蹴ると空を飛び、市場へと降り立ちます。
そして、ムチ打たれている少年のそばへとゆっくり歩み寄ります。
店主をはじめ市場にいた人々は、みな驚きますが、獣は何をするわけでもなくただ少年を見つめていました。
獣に目を奪われて一瞬手を止めた店主でしたが、やがてまた少年をムチ打ちはじめます。
すると、獣は少年をかばうように、その上に覆いかぶさりました。
しかし、店主のムチは止みません。
何十回、何百回と、獣は少年のかわりにムチ打たれました。
そのうち、獣の体に変化が現れはじめました。
まばゆく輝いていた全身からその光が消え、黄色く変わっていきました。
次に、ムチで打たれた部分に黒いシマ模様が現れました。
そのようになっても決して動こうとしない獣に、やがて店主は根負けして、ムチを置いてその場にへたりこんでしまいます。
すると獣は気を失った少年を背中に乗せて、よろよろとした足どりで少年の家へと向かいました。
そして、少年を家に送り届けると、再び山の中へ姿を消し、もう二度と人々の前に現れることはありませんでした。
これが現在の虎の祖先だと言われています。


細かい部分は当時と違っているかもしれませんが、こんなふうな内容の物語でした。
きっと子ども心に浮かんだ、「ライオンやネコにはシマがないのに、なんで虎にだけあるのかな?」という疑問が、この物語をつくるきっかけになったんだと思います。
ちなみに、虎のシマというのは、獲物を狙って草むらに身を潜めるときに相手から見えにくくするためのものらしいです。

長々とおつき合い、ありがとうございました。





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咲きましたよ~!!
2009/01/09(Fri)
我が家のベランダはとても狭いのですが、鉢植えの花とかが少しだけあります。
少し前から、デンマーク・カクタス(和名はシャコバサボテンと言うそうです)が、きれいな花を咲かせて、家族の目を楽しませてくれています。

デンマーク・カクタス

自分には花とかの知識がまったくと言っていいほどないので、
サボテン → 熱帯の植物 → 日本の気候には不向き → ましてや冬になんか咲くわけない
と思っていましたが、ほんとに自然のたくましさというか、生命力の強さというか、そういったものを感じさせてくれています。
少しだけですが、この花たちを見て、「ああ、自分もがんばろう」と思えるのです。



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はじめまして!!
2009/01/08(Thu)
ブログというものに興味をもちはじめてから数ヶ月・・・。ついに始めることにしました。
と言っても、わからないことだらけの状態です。

でも、このブログについて今ひとつだけ思ってること・・・。

おそらくこの世の中で何人かの方はこのつたないブログに目を留めてくださるでしょう。
せっかく訪れていただくのだから、その方たちがほんの少しでも「見てよかったなあ」と思ってくださるようなブログにできたらいいなあ、ということです。

どうぞよろしくお願いします。

雪の道



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